2011/09/24

少し前、お母さんは大学時代の恩師が亡くなられてとても落ち込んでました。







何年か前には、先生の最後の講義を聴きに行くっていってオシャレして出掛けてった事もあったし、
先生が入院してからは、どこでもハワイからも先生にお手紙を書いてたし、
よくお見舞いにも行ってた。
普段から、加賀谷先生の名前があがるのは当たり前のことだったからそれはそれはショックだったのが電話で話してても声のトーンですぐ分かった。










学校を卒業して、そんな風にまで思える先生の存在は私にはなかったから、何十年たっても当時の先生とこうして連絡取り合ってご飯行ったり相談したりって、憧れちゃう関係だなぁってボンヤリ思ってました。







「母親としても、社会人としても、女性としても、一番尊敬してる人なの」








お母さんはよく言ってた。









今回の帯広旅行でママ、ちょっと元気になれたかな。
車の移動中は、9割強ママがしゃべりっぱなしだったけど、すごくはしゃいでて本当に嬉しかったのが分かった。







母親って本当絶対的だなって今回何度か思うタイミングがありました。







お腹にいる時から無事に生まれるまで心配して、母乳が足りてるのか心配して、寝てるだけなのに息をしてるのか心配になって、寝返りが片っぽだけだから心配して、離乳食をぜんぜん食べなくてベェするのを心配して、歩くのがしゃべるのが遅くないか心配して、幼稚園でいじめられてないか心配して、中学受験で心配して、遠くの学校に入れることで心配して、熱があるのに新体操の大会に出るって心配して、失恋して泣きながらの電話に心配して、ちょっと咳き込むだけでとんでもなく心配して、偏頭痛で心配してソレに良いってものは何でも試して、留学中の夜中の電話に心配して、就職先のことで心配して、香港で中耳炎になったのを心配して、、、、







私の周りにも色んな心配お母さんがいる。







大人になった今でも離れて暮らす私を一番に心配してくれるのは、やっぱりお母さんで。








こうして考えるとお母さんって、割に合わない職業だけど、
わたしが今まで感じたことのある "愛" なんかとは比べ物にならないほどの愛情があるんだと思う。周りの友達が子供に対して想う気持ちを聞いててもそう思う。まだ子供がいない私には自分の身を削ってまで助けたい愛って、想像しがたいから。







アンナでは、ただ逃げ出したかった。
なんか情けなくって、悔しくって、恥ずかしくって、切なくって。








愛されてるってことは、心配をたっぷり含まれることなのは充分理解できた。
いつも多方面から心配されてるから、分かってるつもり。







でも、
全道模試の結果がすごく良くて喜んだり、初めてのハイハイを動画に撮ったり、一緒に温泉入って語り合ったり、離れててもお手紙もらってじーんとしたり、たまに帰って久々に一緒に出掛けた時のはしゃいでる姿を見ても、







愛には心配と同じくらいに感動や感謝や喜びや嬉しさも、たっぷり含まれてるんだもんね。






これからは、
こっちを、たくさん味わわせてあげたいなって心から思った。
もうここ3年くらいは、空港でバイバイする事が多いんだけど最後に必ずママが言うお決まりのセリフ、





「詩音が笑ってれば幸せなのよ」







それを思い出すといつも胸がきゅんとなる。
愛されてるってホっとする。






結構キモチ悪い写真なので小さく自粛



写真は、思い出とその瞬間を大事にキャッチ








もう心配かけないようにしたいです。
子供の母親に対する愛だって、負けないくらい  無限大 ∞ なのだから。